『高校なんかより海外で挑戦してこいよ!』と親から言われた / 大谷壮馬

モンテネグロ ベラネ 

大学卒業後に渡った東欧のモンテネグロ。そこでの生活は自分が夢見ていたプロの世界とは大きく異なっていた。しかし、そこでの活躍が認められボスニア・ヘルツェゴビナ1部リーグのクラブへと移籍。怪我で出場機会こそ少なかったが、次のシーズンにはモンテネグロ1部のクラブへと移籍する。そして次に活躍の場に選んだのは東南アジアのタイだった。

今年でタイでの2シーズン目を迎える大谷壮馬は、どんな苦境に立っても文句を口にする素ぶりも見せずにピッチで結果を出すことに全力を尽くす。どうして海外に挑戦しようと思ったのか、そこにある思いを大谷壮馬に聞いた。

大谷壮馬

1990年生まれ。大阪府出身27歳。ポジションはMF。桃山学院大学を卒業後、FK.ベラネ(モンテネグロ2部)〜FK.スラヴィア・サラエヴォ(ボスニア・ヘルツェゴビナ1部)〜FK.ベラネ(モンテネグロ1部)〜パタヤシティー(タイ3部)〜クルントンブリFC(タイ3部)と渡り歩くサッカー選手

 

海外でプレーしたいとずっと思っていた

 

海外でプレーしようと思ったきっかけには何があったのですか? 

一番大きなきっかけは高校・大学でチームメイトとしてプレーしていた先輩の存在でした。先輩がラトビアでプレーしているという話を聞いて、その先輩からどんな所でプレーしているのか、どうやって行ったのかと連絡を取って聞いていました。昔から海外でサッカーをしたいという思いはずっと持っていたので。 

大谷が所属したモンテネグロリーグFK.Beraneのスタジアム

Jリーグではなくて海外でのプレーにこだわっていたということ? 

中学・高校くらいから海外でプレーしたいという思いはずっと持っていました。それには両親の影響も大きかったと思います。『高校行かないでいいから海外行ってこいよ』そんなことを冗談まじりでよく言われていました。 

そんな両親の影響もあって海外への思いはありましたが、せめて高校までは日本でやりたいと自分では思っていましたね。結局は大学サッカーまで日本でやることになりました。 

大学を卒業する時にJリーグやJFLのチームに行くという選択肢はなかったのですか 

自分は大学サッカーで大した活躍も出来ませんでしたし、J1やJ2は難しいことは分かっていました。試合に出れない時期には就職活動した方がいいかと悩んだ時期もありましたね。でも、サッカーを続けたいという気持ちはあったので、JFLのチームや社会人チームの練習にも参加したりしましたが自分が行きたいと思えるような国内チームからの誘いはありませんでした。そういった状況で、インカレが終わった後にお世話になっていた先輩に相談して海外挑戦することを決意しました。 

自分が海外挑戦することに関して周りはどんな反応でしたか? 

家族はみんな応援してくれましたね。特に父親は昔から自分に『海外に行けよ』と勧めてくれていましたし、喜んでいたと思います。大学サッカー部の周りでも卒業後にドイツ、ラトビアなどヨーロッパに挑戦する人が何人かいたので、周りのみんなも否定する事もなく応援してくれましたね。『海外へ行く』というのが身近な環境にはあったのかと思います。 

初めての海外挑戦の場としてモンテネグロを選んだ理由は? 

お世話になっていた先輩からエージェントの方を紹介してもらいました。当初自分はヨーロッパで自分が通用するとは思っていませんでしたし、東欧というのもピンと来なかった。なので東南アジアのタイに挑戦しようかなと思っていたのですが、そのエージェントの方と会って話をするうちに、ヨーロッパの方が自分のプレースタイルにも合っているかなと思うようになりました。モンテネグロのことなどは当時は全く知りませんでしたが、その人のアドバイスを信じてモンテネグロに行くことを決めました。 

初めての海外生活・サッカー

 

そんな予備知識もない国へ行くなんて不安はありませんでしたか?何か行くにあたって準備して行ったことはありましたか? 

あまり先のことで不安になるタイプではありませんが、言葉に関しては自信もなかったので多少勉強して行きました。英語も全く出来ない状態でしたが、コミュニケーションすら取れなかったら話にならないとは思っていたので、セルビア語の教科書を買って簡単な言葉は覚えてから行きましたね。 

実際行ってみてモンテネグロはどうでしたか?生活、サッカーと全てが日本とは違うとは思いますが

行く前にどんな場所だというイメージが全くなかったので、特に何も思いませんでしたね。大きな驚きというのはなかったと思います。もちろん文化や生活の違いは大きいし、サッカーの中でも違いはたくさんありますがそれは生活していく中でだんだんと感じるようになっていきました。 

サッカーの中での違いではどういったものを強く感じましたか? 

自分の中で一番大きかった違いは、守備に関しても攻撃に関しても『個人でやる』というのが日本との違いを大きく感じました。チームとして戦うのではなく、まずは一人一人が戦え、それが基本的なスタンスとしてあったと思います。 

生活面で慣れるのに苦労したこととかはあった? 

まずモンテネグロは何もないところだったので。特に自分が所属していたベラネというチームがある地域は本当に何もありませんでした。あの時は改めて日本は恵まれているんだなということを感じましたね。 

ベラネで住んでいたアパートの裏

ベラネの街はどんな場所でしたか? 

モンテネグロの北に位置する街で山に囲まれた場所でした。冬には雪もかなり降るし、夏は緑が綺麗でしたね。街の人たちもチームメイトも皆温かくて、本当に良くしてくれました。チームメイトが遊びに行こうと誘ってくれた時は街のメインロードを散歩したり、川を泳いだりして遊んだりもしました。本当に何もない街だったので。笑 

 

一人だったら帰国していたかもしれない

 

FK.Beraneはどんなチームでしたか? 

その時ベラネは2部リーグに所属していましたが、スタジアムは立派でサポーターもモンテネグロリーグの中では結構いる方だったのではないかと思います。ホームの試合ではいつもサポーターが熱い応援をしてくれました。でもチームとしては、自分が想像していたヨーロッパのプロクラブとは違い、経営やチーム運営の部分で問題を多く抱えていました。『アマチュアでももう少ししっかりと出来るだろう』と思うこともありましたね。日本にいる時は知りませんでしたが、ある意味向こうでは多少の問題があるのは常識の範囲内なのかなとは思います。 

苦労したことも多かった? 

チームの問題が出てきて、それが自分たちの生活にもだいぶ影響してきました。チームが用意してくれていた住居や食事、そして給料などに関しても問題が出てきた時はしんどかったですね。冬はかなり寒かったし、一人だったら耐えられなかったかもしれません。 

チームメイトには現在タイでプレーするヤマケン(山崎健太)がいましたよね? 

はい、初めての海外生活の中でヤマケンさんには本当に助けられました。まず一人ではないというだけで心強かったですし、あの環境、あの生活に一人だったら即帰っていたかもしれません。 笑

ベラネの川でオフを過ごす。左:大谷 右:山崎

 

編集後記

今回は大谷壮馬の海外に出るまで、そして初めての海外生活となるモンテネグロの生活について聞いてきました。この後に大谷はモンテネグロ2部での活躍が評価され隣国のボスニア・ヘルツェゴビナ1部リーグへと移籍、その後はモンテネグロ、そしてタイへと活躍の場を移していきます。それらのストーリーはまた次回のインタビューで聞いていきたいと思います。
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