ある外国人指導者との出会いに導かれたプロ選手としてのキャリア / 樋口大輝


大学サッカーの名門・福岡大学で活躍した樋口大輝、卒業後にはプロという夢を追いかけてJリーグ入りを目指すJFLのガイナーレ鳥取、そして佐川印刷SCでプレーを続ける。そこでのある指導者との出会いが樋口のサッカー選手としての分岐点となった。タイに渡って7年目のシーズンを終えた樋口に、7年前に海を渡った時の思いを語ってもらった。 

樋口大輝

1984年生まれ。熊本県八代市出身の33歳。 福岡大学出身、ガイナーレ鳥取(JFL)〜佐川印刷SC(JFL)〜チョンブリFC(Thai)〜ウオチョンユナイテッド(Thai)〜ソンクラーユナイテッド(Thai)〜タイホンダFC(Thai)〜チャムチュリユナイテッド(Thai)

プロへの思い

 まずJFLでプレーしていた時の話を聞かせてください 

佐川印刷SCでプレーしている時は、カテゴリーはJFLでしたがプロではなく社会人選手として、午前中の練習が終わった後には親会社から割り当てられた仕事をしていました。体力的にはきつく単調な仕事内容ではありましたが、安定した給料も受け取ることができていましたし、サッカーには集中出来る環境が整っていたと言えると思います。京都の街はとても住みやすく、居心地の良い環境でしたね。 

佐川印刷SCにはどういった選手たちが所属していたのですか?

周りの選手の中にはそこからJリーグチームへの移籍を目指す選手もいれば、家庭を持ちそのまま会社に就職する選手もいました。そういった周りの環境の中、居心地の良さを感じつつも『サッカーでプロとして生きていきたい』という昔から持ち続けていた気持ちは、変わることなく自分の中で持ち続けていましたね。佐川印刷へはサッカー選手として入ったものの、サッカー選手として生活しているという感覚は持つことができずにいる悔しさは常に感じていました。 

昔から海外に行きたいと言う気持ちは強かったのですか? 

いや、JFLでプレーしていた当時はそういった気持ちは全くありませんでしたね。今思えば狭い範囲でしか物事を見れていなかったと思いますが、当時はプロ選手というのはJリーガーしかないと思っていました。 

では、何が海外でのプレーを考えるきっかけなったのですか?

考えが変わったきっかけはタイ人監督のヴィタヤ氏との出会いです。大学を卒業して加入したガイナーレ鳥取で指揮をとっていたヴィタヤ氏に『タイにもプロリーグがある』ということを教えてもらいました。それまで自分にとって海外といえばヨーロッパサッカーしかありませんでし、ましてや自分が海外に渡りプレーするとは思ってもいませんでした。「タイでサッカー」という選択肢があることを知り、 少し海外を意識するようになりました。

Photo by Chamchuri United

ヴィタヤ氏との出会い

今、振り返るとそれが運命的な出会いだったのですね

ヴィタヤ氏との関係はガイナーレを離れ佐川印刷SCでプレーするようになっても繋がっていました。プレーの事で悩みがあれば電話で話を聞いてもらったり、近況報告をしたり。違うチームに行っても親身になってアドバイスをくれるなんて..本当にお世話になりましたね。

佐川印刷SCを退団されたのはタイへの移籍が決まったからということだったのですか? 

その時はまだ何も決まっていない状況だったんです。どうしてもプロの夢を諦められなかった自分は、佐川印刷SCを退団してJリーグのチームかJリーグ入りを目指すプロチームに自分を売り込みに行こうと思っていました。そして、そこで契約できなければここで引退しようと。26歳の時でしたね。

では、どういった経緯でタイへの道が開けたのですか?

退団の意向をチームマネージャーに伝えてから迎えた最初のリーグ戦でした。そこにはヴィタヤ氏と自分の共通の友人が試合観戦に来てくれていたんです。試合結果は忘れてしまいましたが、試合後にその友人と話している時にヴィタヤ氏からの伝言というメモを渡されたんです。『もしタイに興味があるならこの電話番号まで連絡してくれ。』と書かれていました。

すごいタイミングですね

『今、これに挑戦すればサッカーで飯が食える』メモを見て、その時に直感で感じました。

タイに挑戦することに迷いはなかったのですか?

全くありませんでしたね。すぐに紙に書かれた電話番号に電話して『タイに行きたい』という気持ちをヴィタヤ氏に伝えていました。それからすぐに航空券を予約し、数週間後にはタイへと向かう飛行機に乗り込みました。

Photo by Chamchuri United

信じたのは自分の直感だった

タイに到着した後はどうだったんでしょうか?

着いた場所はバンコクから1時間ほど離れた場所にあるチョンブリという場所でした。そこで1週間ほどのトライアウトを経てチョンブリFCと契約することが出来ました。

念願のプロとしての契約を勝ち取ることができたんですね

タイについての知識も経験も何もない状態で、自分にあったのは『これに賭けるんだ』という直感だけでした。それまでずっとサッカーを続けてきてJFLでもプレーしましたが、プロとしてプレーすることは叶いませんでした。ガイナーレでも佐川印刷SCでも仕事をしながらの生活でしたし、お金に余裕があったわけでもありません。昼ごはんのお金を少しでも安くすませるために頭を捻る毎日でしたからね。笑

直感に従って行動した結果だったのですね

当時は、正直に言ってタイについて知ってる事はほとんどありませんでしたね。浮かんでくるのは暑いというイメージくらいでした、ましてやタイ語なんて全くわかりません。タイに行くことを決心してから用意した物と言えば本当にパスポートのみだったんじゃないかな、パスポートの有効期限が切れているのに気づいて焦って更新しに行ったの覚えています。

 

編集後記

JFL時代に出会ったタイ人指揮官のヴィタヤ氏との出会いから、タイでプロとしてのキャリアをスタートさせた樋口大輝選手。今回のインタビューではJFL時代からタイへ移籍するまでのストーリーを語って頂きました。次回以降ではチョンブリFCで感じた外国人選手としての意識、そしてタイで暮らしていく中での思いを語って頂きます。
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