先生辞める!元教師がジンバブエでサッカーコーチを始めたわけ / 坂本周造


教師を辞めてジンバブエでサッカー?誰に聞いてもネタだと思われるだろう。安定し、充実感もあった仕事を辞めて海外に行く。それもアフリカのジンバブエ。どこなんだそれは、どんな場所で、飛行機ではどのくらいかかるんだ、めちゃくちゃ遠いだろ!しかし、坂本周造はその時全く迷いはなかったと言う。なぜ海外へ行くことを決意したのか、なぜアフリカだったのか、その時の気持ち、そしてこれからについて語ってもらった。

坂本周造

1987年生まれ。長野県出身。 駒澤大学サッカー部出身。卒業後は一般企業へ就職、その後教師へ。3年間教師の仕事を務めるが同サッカー部同期の友人に影響を受け自分も海外へ行くことを決意する。

海外で戦う友人の姿を見て決意した

まず自身の今までの海外経験について教えてもらえる? 

初めての海外は大学生の時にサッカー部の遠征で行ったトルコとイタリアが初めてだった。そうそう、あの遠征の前にパスポートを取りに行ったのを覚えているよ。それからはアジアを中心に数カ国とハワイにも遊びで行ったね。そして仕事として行くことになったアフリカだね。

当時はそんな感じはしなかったけど、学生の頃から海外へ出て行きたいという気持ちが強かったの? 大学の時も英語はすごく勉強していたよね?

英語は確かに勉強していたけど、自分が海外で仕事したいとかは全くなかったね。

そうだったんだ。アフリカと聞くとだいぶハードルが高いと思うんだけど、海外なんて興味なかった坂本がアフリカに行くと決心した裏には何かきっかけがあったの?

サッカー部同期のイッチー(市川佑樹)がシンガポールで活躍する姿というのは自分にとって大きかったかな。あいつが日本に帰ってくるたびに会っていたけれど、大学時代を共に過ごした友人の海外での話は、自分も海外に身を置きたいという大きなモチベーションになったよ。その時感じたのは、やはり海外で戦っている人間は成長のスピードが違うなということ。外国人選手として海外のチームの中に一人で入って、プロとして戦う勇気や心細さを考えると、日本で教師をしてると自分とは一人の男としての経験に大きな違いを感じずにはいられなかった。イッチーのことは心から応援していたけれど、あいつの海外での話を聞くたびに自分に嫌気が刺すような感情も感じていたな。 

市川が所属するGayrang Internationalの練習を見学する坂本

それでシンガポールにイッチーの試合を観に行ったんだ? 

そうそう。仕事を休んでシンガポールまでイッチーの試合を観に行ってきた。でもあの瞬間決まったね。異国の地で戦う彼の姿に心から感動しちゃったよ。自分も何かやってやるんだ、そんな決意を胸にシンガポールから帰国したよ。 

でも、決意したと言ってもその時の自分にはどうやって海外に行こうだとか、手段をどうするかとかのアイデアは全くなかった。でも自分のできることで何か人に貢献できる事をしたい、そしてできることなら自分がずっとやってきたサッカーで人の為になることをしたい。そう考えた末に辿りついたのが青年海外協力隊だったんだ。 

教師を辞めてアフリカへ

教師という安定した仕事を辞めてアフリカに行くということに迷いはなかった?

自分の中での迷いは全くなかった。でも親や周りの人からは反対されたね。自分のことを考えてくれるからこそのアドバイスだったけど、「教師を続けた方が良いんじゃないか」とたくさんの人が言ってくれた。でも、それによって自分の気持ちが変わることは全くなかったな。とにかくあの時は『自分が海外に行ってどこまでできるのだろう、どこまで自分に出来るか試してみたい!』そんな気持ちしかなかったかもしれない。その辺りからかな、自分の人生が狂い始めたのは。笑 

ちなみにだけど、その時の英語能力はどの程度あったの? 大学の時も勉強はしていたと思うけど

準一級、TOEICだと700~800くらいだったと思う。昔から英語は少し勉強していたし、コミュニケーションを取る上での問題はあまりなかった。 

ところで。何か自分もやってやりたい!と思って、なぜそこでアフリカを選んだの? 

ジンバブエに行った理由として公用語が英語というのは大きかった。現地には二つの部族がいて、それぞれの部族の中ではローカルの言葉で話しているのだけど、お互いの言語は理解できないから基本的な公用語は英語になっているんだ。だから、自分の強みである英語とサッカーを生かすことができると思った。この機会を利用して英語力をもっと高めたいという思いもあったかな。 

英語の能力を高めたいという理由でアフリカを選ぶ人は聞いたことがないけどね笑 

当時は、とにかく行きたいという思いが突っ走っていたね。笑

 

現地の子供達に指導する坂本

日本人初のジンバブエリーガー?

実際にジンバブエではどのような活動をしていたの?

普段はローカルのサッカーチームの指導をしていたよ。主に子供達の指導だね。午前中はZIFA(ジンバブエサッカー協会)へ行ってミーティングをしたり必要な手続きの手伝いなどの事務仕事もしていた。それが終わるとグラウンドへ行って夜まで指導、だいたいそんな毎日だった。そういった活動の一環でCAF(アフリカサッカー協会)のコーチングライセンス取得もさせてもらったよ。CAFのコーチングライセンスC級とB級。あとはFIFAのグラスルーツライセンスも取得した。 

それと、こんなことは思ってもいなかった事だったけど現地のプロリーグでもプレーしていたんだ。ジンバブエ2部リーグ。まさか自分がプロのサッカーの試合に出れるなんて思ってもいなかったから、初めてのリーグ戦の前日はなかなか緊張で寝付けなかったよ。笑 他の選手とは違って自分は給料をもらいながらプレーするわけにはいかなかったけど、それでもプロとしてプレーする選手達と同じピッチに立って、観客の前でプレーした時は興奮したよ。

それはすごい経験だね。日本人初のジンバブエリーガーなんじゃない? なんでそんなことになったの?

サッカー協会のスタッフに勧められてトライアウトに参加したんだ、そこで高評価を受けてジンバブエの2部リーグでプレーすることになった。まさか自分がアフリカのプロリーグでプレーすることになるとは思っていなかったけど、小さい頃に夢見たプロのピッチに立てたことは感動したよ。

 

青年海外協力隊だったと聞いていたけどイメージとはだいぶ違うようだね 

そうだね。当時は朝から晩までサッカー漬けだったよ。数年前の自分からは全く想像つかなかったけど、アフリカの地で大好きなサッカーの素晴らしさ・楽しさを子供たちに伝える仕事ができていることは本当に嬉しかった。 

誰にでも出来ることではない、やりがいのある事だね 

現地に行って、指導した子供たちが喜んでくれる姿を見るのが何より嬉しかった。アフリカに行っていきなり見慣れない東洋人がサッカーを教えるのだから難しい部分ももちろんあったよ。でもそれは指導する側がしっかりとした姿勢で彼らと向き合えば子供達にも伝わるものだから。彼らは本当に素直だよ、そんなアフリカの子供達が笑顔になってくれるというのは本当に自分の喜びになっていったね。ジンバブエにはしっかり指導を学んできたコーチというのも少ないんだ、だからコーチにサッカーを教えてもらえるという事も彼らにとっては新鮮で嬉しかったのだと思う。 

ジンバブエのサッカー人気はどうなの? 

やっぱり男の子達はみんなサッカーが好きだよ。自分が出ていた2部リーグでも試合によっては観客は結構入っていたしね。1部リーグの人気チームで注目の試合になると10,000人くらい入る試合もある。だから、自分が選手としてプレーしている事も指導の場面で役に立ったよ。やっぱりサッカー選手というのはどこに行っても子供たちからの憧れの職業だからね。 

ジンバブエの子供達と一緒に

空港に着いた瞬間帰りたいと思った

 実際、初めてアフリカに行く時は怖くなかったの? 

怖い怖い、最初は本当に怖かった。初日に空港に着いた時、周りを見たらみんなアフリカ人だった時は正直もう帰りたいと思ったよ。笑 やっぱりあの中に入れば日本人はどうしても浮くから。でもそんな事言っていても始まらないから、意を決して飛び込んでみたら意外とすぐに慣れてしまったね。自分でも不思議だったのだけどすぐに環境には慣れた。 

危険な場面には一度も会ってないね。交通事故になりそうな場面には何度か会ったけど、物を盗まれたり、危害を加えられそうになったりしたことは一度もなかった。みんな本当に親切で良い人たちばかりだった。そういうところでは本当に恵まれたと思う。 

アフリカでの経験は大きいものだったというのは想像できるんだけど、行く前と何か変わったことはある? 

あるある!一番大きいのは周りの目を気にしなくなった事。着る服もそうだし、話す相手によって態度が変わることもなくなったように感じる。肩書きで人を判断しなくなったかもしれない。行く前はステータスだとか、偉い人だとかそういうことを嫌でも意識してしまっていたから。だから話す相手によって卑屈になったり、躊躇したりするような事もあったと思う。そういったことが自然に気にならなくなったのは大きな変化だと思うよ。その人がどういう人なのか、そこに重きを置くようになったと思う。 

あんまりアフリカに関係ないように思うけど? 

そうなんだよ、だから自分でも不思議なんだ。なんでこういう考え方になったのか。でも現地のコミュニティーに入って日本人がほとんどいない環境で過ごして、日本に一時帰国した時にそういう思考になってることに気づいた。ジンバブエの人たちがそうだからかな、彼らがお金持ちとか貧しいとかそういった事は関係なく人と接するからなのかもしれない。 

ジンバブエの人たちはお金がなくてもハッピーに暮らしているというのはすごく印象的だった。お金があっても無くても幸せに暮らせる。お金がないから不幸なのではなくて、お金がなくてもみんな幸せに暮らしている姿を見て、自分の中での価値観は大きく変わったのだと思う。 

海外、アフリカを他の人にも勧める?

自分の今までの人生を振り返って考えた時に、やっぱり海外には出るべきだと思っている。でも絶対に行った方が良いとは簡単には言えない。というのは、海外で多くの日本人を見てきたけど、何も考えずどうしようもないことをしている人もたくさん見てきたから。結局何を感じられるかはその人次第だと思う。海外の空気を吸えば成長できるというものではないし、日本国内にいたっていくらでも成長出来るチャンスはある。

だからどっちかと言えば、何もビジョンも持たず海外に出ることに関しては否定派かもしれない。でも海を渡った向こうは自分が知らないことだらけ、強い意思を持って渡った人にはとんでもない体験が待っているはずだと思うよ。 

同じ大学のサッカー部に所属していた筆者と坂本。『さかもとーー!!』と大学時代、コーチに怒鳴られている姿を今でも覚えている。一緒にきつい練習に耐えていた毎日は今となっては良い思い出だ。しかし、久々に会う彼の雰囲気はあの頃とはどこか違っていた。そして、アフリカの子供達について話す時の充実感溢れる様子が印象的だった。一度日本に戻り、年末からは再びアフリカに仕事で行くという。また次に会うのが楽しみだ。
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