前回:モンテネグロ挑戦編(前編)
厳しい環境、給料の未払い。モンテネグロで始まったプロサッカー選手としての生活は、日本で思い描いていたものとは大きく違っていた。しかし、共に支え合う仲間の存在、そして何より『ここからステップアップするんだ!』という想いが大谷を突き動かした。プロとしての1年目、大谷はモンテネグロ2部のFKベラネで中盤の要としてコンスタントに出場を重ねチームメイトやスタッフからの信頼も集めていた。そしてシーズンが終了し、一息つこうとしていた大谷に思いがけない話が舞い込む。
大谷壮馬
わずか半年でのステップアップ
90年代のボスニア紛争や、元日本代表のイビチャ・オシム氏の母国としても知られるボスニア・ヘルツェゴビナ。旧ユーゴスラビアから独立した過去を持つこの国は、一般にはあまり知られていないが2018年1月現在でFIFAランキングでは38位。今年ロシアで開催されるワールドカップの出場こそ逃したが、ヨーロッパでも強豪国の一つと言われている。
モンテネグロでのシーズンを終えた大谷に監督から連絡があった。
「一緒に来てくれないか。」
躍進を見せたチームの指揮官にボスニアリーグのクラブからオファーが掛かったのだ。そして指揮官はチームを中盤から支えた日本人を一緒に連れていきたいとチームに要請していた。
『モンテネグロでは試合にはずっと使ってもらっていましたし、やれるなという自信はありました。でも半シーズンでステップアップできるとは思っていなかったので最初は驚きましたね。』
毎日の練習が真剣勝負
大谷が移籍したのはFKスラビア・サラエボというボスニア1部に所属するチームだった。
サラエボから山を越えてさらに奥に行った先にあるイストチノサラエボという街を本拠地とするクラブだ。山に囲まれた場所で冬場の寒さは厳しく積雪も多い。遊びに行く場所もない田舎街だったため、練習以外は家で過ごすことが多かったという。
ステップアップとは言え東欧のクラブの台所事情は厳しい。給料は多少上がったが支払いの遅延などの問題は依然としてついて回った。しかしクラブからは一人一部屋を用意され、チームと契約するレストランでは一日二食のビュッフェスタイルの食事が用意される生活は、モンテネグロでの生活を考えればそれだけで天国のようだった。
しかし、ピッチの中では何もかもが違っていた。
『レベルの高さに正直驚きました。モンテネグロではやれるという自信を持っていたので、ボスニアでもやれると思っていたのですが、実際には全然違いましたね。』

長身で屈強な体、繊細なテクニック、そして自己主張が強い強烈な性格。スウェーデン代表のイブラヒモビッチはスウェーデン人の血をひいておらず、ボスニア出身の父とクロアチア出身の母を持つ。ボスニアにルーツを持つ彼の特徴はバルカン半島出身選手の特徴をよく表していると言われている。
『ボスニア人は体もでかくて足元も上手い。どうしたらその中で自分の特徴を出せるかと練習ではいつも考えていました。試合にも出たり出なかったりという状況だったので、自分にとっては毎日の練習がアピールの場でしたね。』
『ミスをすればすぐに味方選手に怒鳴られるし、そこで黙っていれば全て自分のせいにされて居場所がなくなる。チームメイトも味方ではない、まさに毎日の練習が真剣勝負でした。』
「もう帰ってこなくていい」
イストチノサラエボの隣町には日本人にも馴染みのある人物が住んでいた。
元日本代表監督のイビチャ・オシム氏だ。ある日、代理人と一緒にオシム氏の家を訪ねる機会があったという。
『オシムさんと少し話をすることが出来ました。「試合を観に行くね、頑張って」と声をかけてもらえましたが、それは実現しませんでしたね。』
実現しなかった理由は大谷の怪我だった。雪が残るピッチでの練習、激しいタックルを受けて膝の内側靭帯を痛めてしまったのだ。病院での診察結果をクラブに報告し、日本で治療を受けることを伝えると、
「もう帰ってこなくていい」と告げられた。

再びモンテネグロへ
ボスニアから帰国してすぐに手術を受けることになり、術後のリハビリも順調に進んだ。
『怪我が治ってモンテネグロに戻ることにしました。以前所属していたFK.ベラネが1部に昇格していて、また自分を必要としてくれていたので。もう1度モンテネグロでチャレンジすることにしたんです。』
ベラネではまた中心選手として、今度は1部の舞台で充実のシーズンを送った。しかし、ボスニアリーグと比べるとリーグ全体としても物足りなさを感じずにはいられなかった。そして何より、そこからステップアップするというイメージが見えなくなっている自分に気づいてしまった。
『ボスニアは確かにレベルが高かったんですが、それでも上を目指すならつまずいて良い場所ではないのは分かっていました。あそこで活躍できないようではヨーロッパでステップアップしていくのは難しいだろうと感じていましたね。』

後記
(続編に続く)