中途半端に海外でサッカーするなら日本でサラリーマンした方がいい


Photo by Navy FC

小野雄平を始めって知ったのは高校生の頃だった。当時、高校生ながらJリーグに出場していたガンバ大阪ユースの家長、FC東京ユースの梶山陽平、李忠成、横浜F・マリノスユースの谷口博之。年代別代表に名を連ね、高校生ながらにJリーグに出場するその年代のトップレベルの選手たちの中の一人にヴェルディユースの小野雄平の名前もあった。J1、J2、JFL、地域リーグ、タイリーグとプレーし2014シーズンをもって現役を引退。現在は大手スポーツメーカーに勤める小野にタイでの1年を振り返ってもらった。

小野雄平

大阪府出身、1985年生まれ。ジュニアからトップチームまでヴェルディ一筋。トップ昇格後に出場機会を求めて徳島ヴォルティス、ファジアーノ岡山に期限付き移籍。2010年東北リーグの福島ユナイテッドに移籍。その後グルージャ盛岡、福島ユネイテッドでプレー。2014年にタイ2部のネイビーFCに移籍。同シーズン限りで現役を引退した。

タイリーグへの挑戦


そもそもなぜタイに行こうと思ったのですか?

正直に言えばタイに行けば稼げると思ったから。福島ユナイテッドは実質クビだったけど、もうサッカーに未練はなかったし、やることやってダメなら辞めても良いという覚悟は常にあった。だから最後に海外に稼ぎに行くのもいいかなって。

1年間でしたがタイはどうでしたか?

楽しかったよ。色々あったけどそれも面白かったって言えるね。

タイのサッカーについて

率直な感想は「楽だった」かな。

練習も楽だし、試合も楽だった。練習でどんなにダラダラやっても結局試合でできれば何も文句ないよね、という世界だった。結果至上主義というのかな。練習でダラダラやる選手がいようが周りも気にしてないし、結果を出せば誰も文句は言わない。もちろんタイの中でもチームによるだろうけど、ネイビーFCに関してはそうだったな。

Photo by Navy FC

日本とタイの違い


日本とタイの練習を比較して

日本の方がきついに決まってるでしょ。タイの練習でキツイなんて思ったことなかったよ。もちろん走りもあるけど、試合で結果出していればどうせ何も言われないから。

住んでいた街・生活はどうでしたか?

よくあんなド田舎の何もない場所で1年やったと思ってる。

練習場まで歩いて1分くらいのアパートに住んでいたからね。起きて、ご飯食べて、練習行って、終わったらご飯食べて家帰って、テレビ見て寝る。それだけの生活だったな。

食事はどうしていましたか?

キッチンもないし全部外食だった。外食と言っても基本はセブンイレブンのチャーハンだったけど。笑

セブンのチャーハンが一番美味しかったよ。タイ料理はビールには合うけど基本的にはあまり好きにはなれなかったんだ。タイ語も英語も話せなかったからレストラン行くのも面倒だったのもあるね。

それでコンディションは維持できたのですか?

全然問題なかったよ。鶏肉にするか豚肉にするかくらいの変化はつけてたしね。でも自分は基本的に太りやすい体質だし、タイは年中暑いし、あの食事のルーティーンは合ってたのかもしれない。

体も日本でやっている時より絞れて、試合でも動けたし常に調子は良かったね。お金も全然使わなかったから給料の割には貯めることができたよ。

コミュニケーションはどうしていましたか?英語も話せないとは聞きましたが

自分でそう思っていただけかもしれないけど『OK、OK』だけでオッケーだった。割り切っていたから言葉が通じない事もあまり気にならなかった。もちろん話せた方がいいのは分かるよ。でもピッチの中でチームメイトに信頼されるようになってからはコミュニケーションの問題も自然になくなったね。

中盤の要としてチームのトップリーグ昇格に貢献。まさかあの状態で契約がなくなるとは思いませんでした

結局そこは実力だから。判断するのは向こうだし、選手は自分のできることをやるだけだから。

でもコーチ陣の見る目がなかったのもあるかもしれない。笑

Photo by Navy FC

セカンド・キャリア


契約がなくなりすぐに日本帰国を決めたのですか?

半年はタイ国内でチームを探していたけど、それ以上は探すつもりはなかった。やり残したと思うようなこともないし、もうサッカーはいいかなって。

帰国後は何をして過ごしていたのですか?

日本に帰ってきてからは以前お世話になったチームの関係者の人達に挨拶しに行ったよ。ヴェルディやファジアーノの人には昔から良くしてもらっていたからね。指導者には前から興味もあったし、Jクラブの関係者の方にそういうことについても聞きに行ったりしていたよ。

今の会社に入社した経緯は?

タイで出会って色々相談させてもらっていた人が今の会社の人だったんだ。その出会いがきっかけで今の会社に入ることに決まったんだ。引退を決めたのが7月で、入社したのが10月くらいだったと思う。半年間無給状態でチームを探していたしもうお金の余裕もあまりなかったからね、今の会社に声をかけてもらったタイミングはありがたかったよ。

12年間プロとしてサッカー中心の生活をしてきて、今のサラリーマンとしての生活はどうですか?

実際楽かな。

職場の人たちに良くしてもらってるというのはもちろんあるけど、サッカーやってる頃と比べたら楽だよ。食事も好きな時に好きなだけ食べれる、お酒も気にせず飲める。休みも週2回あるなんて最高だね。笑

Photo by Navy FC

サラリーマン生活も楽しんでいるみたいですね。

基本的には他人をあまり気にしないからね。タイに行った時も、日本に帰って仕事を始めてからも特に慣れるのに苦労したと思ったことはないね。楽しくやってるよ。

最近は多くの若い選手が東南アジアにも挑戦しているみたいだけど、海外で中途半端にサッカーするなら日本で働いた方がいいと思うよ。Jリーグの方がレベルは高いわけだし、中途半端な覚悟で海外行っても得るものは少ないよ。それだったら日本でサラリーマンした方がよっぽど学ぶことは多いと思う、正直ね。

だからお前も中途半端に海外でサッカーしてるならやめた方がいいんじゃない?笑

引退したことにも、タイでプレーしたことにも何にも後悔はないよ。サッカーを始めてから引退するまで目一杯やってこれたと思ってる。福島ではJFL昇格したし、岡山ではJ2に昇格した、タイでも1部に昇格できた。ヴェルディの時は出場時間は少なかったけど天皇杯も優勝できた。

どのタイミングで辞めることになっても後悔はしなかったと思うけど、12年間もサッカーだけやってきたしね。サラリーマンも楽しんでやっていきたいと思ってるよ。

Photo by Navy FC

後記

久々に会った小野雄平はピッチの中での飄々としたプレースタイルと変わらない、涼しげな語り口調で当時を振り返ってくれた。盛岡で一緒にプレーしたのは1年だったが、どんな状況でもどんな場面でも冷静なプレーぶりが印象的だった。活躍のフィールドをサッカーからビジネスに変えた今でもそれは変わらないのかもしれない。
Previous 元U-20日本代表、流浪のストライカーが進む自分だけの道 第1章
Next 元U-20日本代表、流浪のストライカーが進む自分だけの道 第2章

No Comment

Leave a reply

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です