元U-20日本代表、流浪のストライカーが進む自分だけの道 第3章


「自分にしかできない経験」をしたい。

インターハイ優勝、世代別日本代表を経験し、高校を卒業しFC東京へ入団。その後、度重なる怪我とも戦いながら国内外のクラブを渡り歩く。そして日本で半年間の一般社会人としての工場勤務を経て再び海外での挑戦へと向かう小澤竜己。タイで2度目となる挑戦、そしてこれからのキャリアについて話しを聞いた。


小澤竜己

1988年生まれ、名古屋出身。名古屋FCから青森山田高校に進学。1年時からエースとして活躍し、3年時にはキャプテンとしてインターハイ優勝に貢献。世代別代表にも選出され、卒業後はFC東京に入団。その後JFLのガイナーレ鳥取、ブラウブリッツ秋田、そしてタイ、ラトビア、インドと各国のチームを渡り歩く。

タイで二度目となる挑戦ですね

4年ぶり2度目となるタイでの挑戦だったね。トライアルに行ったランパーンFCの監督はオランダ人で、VVVフェンロで本田圭佑や吉田麻也と一緒に仕事していたと話していたよ。吉田とは中学時代から友人だし代表でも一緒にプレーした仲だからね、吉田という共通の知り合いがいたおかげで掴みも良かったのかな。自分のプレースタイルも評価してもらえたみたいで契約はすぐに決まったんだ。1年目は得点こそ1点だけだったんだけど、加入後はチームの成績も上がったし、サイドバックからFWまであらゆるポジションで使ってもらったんだ。充実感を感じられたシーズンだったね。

Photo by Lumping FC

ランパーンでの2シーズン目について

2シーズン目は開幕直後の3月に怪我をしてしまったんだ。リスフラン関節靭帯損傷といって足の甲の骨折のような怪我と言えばいいのかな。自分はアグレッシブにファイトするプレースタイルなんだけど、2年目の監督はあまりそういった部分を評価してくれなかったんだ。練習中に激しくプレーすると「危ない!」とよく怒られたね。だから接触プレーで怪我をした時も「ほら、言っただろ?」みたいな感じで呆れられてしまってね。こっちは命懸けで体張ってプレーしてるのにそれはないでしょ思ったよ。結局それが原因でチームとの関係も悪くなっていたし、日本に帰って治療することにしたんだ。

Photo by Lumping FC

帰国後は何をして過ごしていたのですか?

まず仕事を探しにいったよ。笑

日本に帰ると決めてからサッカー以外のことも知りたい、そして実家の両親の近くで暮らしたいという思いがあったんだ。

高校入学と同時に実家を離れて15年近くサッカーばかりしてきたからね。両親との時間をゆっくり過ごしたいなと思っていたし、仕事に関しては引退した後にサッカーだけしか知らない人間にはなりたくないと思っていたんだ。だからここで一度経験してみるのも悪くないなと思ってね。スーツを着て面接に行ってきたよ。笑

それで地元大手企業の工場で働くことになったんだ。寮に住んで毎日8時間くらいがっつり工場で働いたよ。日勤の日もあれば夜勤の日もあったね、立ち仕事だったから慣れるまでは結構きつかった。

その後リハビリも順調に進んで、近くの公園でプレーしてる人たちに混じってサッカーをするようになったんだ。そしたらどこから聞いたかわからないんだけど、「元Jリーグの選手があそこの工場で働いてるぞ」と噂になったらしくてね。トヨタ蹴球団の方にうちでやらないか?という話を頂いたんだよ。

やっぱりチームに入ってしっかりとトレーニングをした方がコンディション的にも当然良いと思ったし、トヨタ蹴球団でプレーさせてもらえたのは本当に有り難かった。

小澤が着用したトヨタ蹴球団のユニフォーム

初めての仕事はどうでしたか?

色々な人と話す機会もあったし、新しい経験だったけどすごく充実していたよ。新しいことも色々知ることができたし、少し自信にもなったかな。普段接する機会がない人たちともたくさん話すことができて、自分が今やってることも間違っていないなと思えたんだ。

さらにサッカーを頑張ろうという気持ちになったよ。

日本では新シーズンに向けて心身ともに良い準備ができたんですね

トヨタ蹴球団でしっかりトレーニングもしていたし、少しだけど試合にも出させてもらえたからね。怪我もしっかり治して、コンディションも悪くないかなと思っているよ。

これからのキャリアについてどう考えていますか?

正直に言えば、もう十分やってきたかなという感覚はあるんだ。

でもやっぱりサッカーが好きなんだよね。

自分はサッカーをしてきたから高校にもいけて、Jリーグでもプレーできて、色々な国を見てたくさんの経験をすることができた。その中で楽しいことも辛いこともたくさんあったけど、自分で考えて、学んで、成長してこれたのはサッカーがあったからなんだ。

自分が一流になれなかったのは、先を見越して準備するということが足りていなかったからだと思っている。今もトップレベルで活躍する昔の仲間を見ているとそう感じるよ。

でも自分はとにかく行動を起こして、それに対して前のめりに挑戦して行くのが好きなんだよね。それが楽しいし、自分のやり方なのかなと思っているんだ。

それは、サッカーがあってこそ感じれる自分なりの人生の楽しみ方なのかな。だからこれからもサッカーを通して色々学んでいきたい、そして自分に何ができるかを探っていきたいなと思ってる。

チームメイトと小澤

今もトップレベルで活躍する当時の代表メンバーの活躍を見て何を感じていますか?

本当のトップまで行けた人たちは本当に尊敬してる。すごいよ。

でも自分は彼らが体験していない自分だけの道を進んでいきたいと思っているんだ。それが自分のやり方だし、彼らと自分を比べたりはしていない。自分のやり方で自分にしか出来ない経験をしていきたいなと思っているんだ。大学も行ってみたいなと思ってるし、ポーランドにも住みたい。

やりたいことはたくさんあるけど、今までお世話になった人たちに恩返しができれば嬉しいね。今までサッカーを続けてこれたのは間違いなくそういった人たちとの繋がりのおかげだから。


2018シーズンに向けて年末年始をバンコクで過ごしていた小澤は、東南アジアでプロ契約を目指す若い選手たちに混じり、毎日のトレーニングに励んでいた。誰が相手でも変わらない彼の口調や態度、毎日のトレーニングに取り組む真摯な姿は、彼が今まで信念を持って積み重ねてきた「自分にしかできない経験」が作り上げたものだろう。

この後、フィリピン1部リーグのJPV Marikina FCと契約を果たした小澤。日本、タイ、ラトビア、ポーランド、インドに続き自身6カ国目となる新しい挑戦へと向かって行った。

 

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