小林雄剛
挫折の連続だった。
高校卒業後はサッカーが嫌いになり、2年間サッカーのない生活を送った。ザスパ草津U-23ではもう一度プロを目指してトレーニングに励んだが、やはりプロにはなれなかった。自分には無理だと諦めて、就職活動も始めた。
しかし、そんな時に小林の目にあるニュースが飛び込んでくる。
それは「東京都リーグのクラブから東南アジアでプロ契約をする選手が出た」というものだった。迷わずそのクラブのトライアウトに向かった小林は、視察に来ていたフィリピン2部クラブの監督の目の止まることになる。
それが小林のプロサッカー選手としてのスタートだった。

プロとして迎えた初のシーズン、小林はフィリピン2部リーグで20得点以上のゴールを積み重ねて見せた。そんな小林のもとにはタイ2部の強豪ソンクラーユナイテッドからオファーが届く。
タイリーグへの移籍で彼の給料は数倍にも跳ね上がった。
リーグ戦でも12得点を記録し、順調にステップアップするかと思われた。しかし、待っていたのは新たな挫折だった。
前十字靭帯断裂。選手生命にも関わる大怪我だ。
前十字靭帯断裂からの復帰
2016年に前十字靭帯を断裂してから約1年。小林はタイでクラブが見つからず焦っていた。過去の実績でチームは決まると踏んでいたが、1年のブランクがあったことでチームは探しは難航した。
「タイでは結局チームを決めることができませんでした。怪我から1年が経っていましたが膝の痛みはありましたし、以前のようなプレーができていないことは自分が一番分かっていました。なので一度日本に帰国することにしたんです。」

失意の帰国後、リハビリとトレーニングに励む小林のもとにSNSを通じて連絡が入る。
それはエージェントだと名乗る見知らぬインド人からだった。インドのクラブがストライカーを探しているという連絡に、小林は期待と不安を感じたという。
「他に選択肢はありませんでした。すぐにでもサインしたいという気持ちはありましたが、信用できるエージェントかどうか、インドリーグがどういうものかという情報もなかったので、話はかなり慎重に進めました。」

一発勝負のトライアルでは思ったようなプレーはまだできない。CVとプレービデオだけで契約できるこのチャンスは小林にとって願ってもいないものだった。
「膝はまだ痛かったんですが、トライアル無しで契約できるという話だったので、
もうこれは行くしかないなと。」
こうしてインドIリーグの強豪クラブ、アイゾールFCとの契約が決まった。
インドリーグへの挑戦
2018シーズンAFCカップ出場が決まっていたアイゾールFCは得点力のあるストライカーを探していた。しかし、契約後も片付けなければならない問題が残っていた。
それは契約時にチーム側に黙っていた膝の怪我の事、そしてもう一つは前所属クラブであるソンクラーユナイテッドとの問題だった。
「タイから帰国後、膝は完全に曲げることが出来ず、手術が必要な状態でした。そのことを黙って契約したので、契約後にチームにそのことを伝えるとさすがに揉めましたね 笑。
もう一つは前所属のソンクラーとのお金の問題です。治療費を含めた未払い分の支払いがまだだったので。
結局インドに行くことが決まると、リリースレターを出してやる代わりにお金は払わないと言われてしまったんです。早く契約したかったので、そのお金は泣く泣く諦めることになりました。」

インドIリーグの開幕は11月末。遅くても11月にはチームに合流しなくてはいけない。
日本ではリハビリとトレーニングの毎日を送った。さらなるパワーアップ、そして怪我をしない身体作りのためだ。
そしてたくさんの人の協力もあり、膝の状態は日を追うごとに良くなり、身体は少しずつ元の感覚を取り戻しつつあった。
「膝のケアはもちろん、さらに強くなってピッチに戻るためのトレーニングでした。お世話になった方々のお陰で、素晴らしいトレーニングをすることができたと思います。」

インドIリーグ、開幕戦の相手はイースト・ベンガル。元サンフレッチェ広島の遊佐克美が所属していることでも知られるインドの強豪クラブだ。
1万人以上が入るというイースト・ベンガルのホームスタジアムでの試合が、小林にとっての1年半ぶりとなる公式戦の舞台となった。
「コンディションは上がってはいたけど、開幕戦では全然動けませんでした。でもホームで行われたリーグ第2節では初ゴールをあげることが出来ました。あれは嬉しかったですね。」

「日本に帰れ!」「使えない!」インドでのさらなる試練
“結果が全て”
その言葉の意味は誰でもわかるが、体験した者でなければ本当の意味でのその言葉の厳しさを理解することは出来ないだろう。
インドで外国人選手に求められる物はまさにそれだった。
「2試合目で初ゴールすることができましたが、ゴールできない試合が続いたりパフォーマンスが悪い時はしんどかったですね。
instagramやfacebookを通じでサポーターからメッセージが来るんですよ。『死ね』『日本に帰れ!』『使えない』とかね 笑。チームのfacebookページに『あいつを試合に使うな』と書き込まれたこともありましたよ 笑 」
怪我を乗り越え異国で必死に戦う選手の気持ちは、ここでは同情の対象にはならない。
求められているのはプロとしてピッチで結果を残すことだけだ。フィリピンでもタイでも、一歩外に出れば外国人。外国人選手としてピッチに立つという意味は日本でプレーする事とは全く異なる。
「絶対に点を取って文句言って来たサポーターを見返してやる!そう思ってプレーしてましたね。ゴールしたらサポーターに向かって中指立ててやろうかなとかね。笑
でもSNS上でサポーターの口撃にいちいち返信してたら物凄いことになっちゃって。炎上ですね。笑 チームスタッフや監督に止められましたよ。」

幾度となく挫折を経験し、その度に立ち上がって来た小林雄剛。
そんな彼にとってもインドでの彼を廻る環境はさらに強烈なものだった。膝の怪我という問題を抱えながら、それでも周りを納得させるためには己の足でゴールするしかない。
次章ではインドでの生活、そこでの新たな挑戦について語ってもらった。