始めの一歩というのは簡単なようで、最も勇気を必要とするものだ。誰でも一歩を踏み出す前には足がすくみ、躊躇してしまう。
松山竜二(元・バサジィ大分)はこれまで自分の信念のもと、常にその一つ一つの歩みを進めて来た。Fリーグでの経験、タイリーグへの挑戦、そして現在はバンコクでフットサルスクールの経営に向けて脇目も振らずに突き進んでいる。なぜバンコクでスクール経営なのか、なぜタイに挑戦したのか。当時を振り返りその想いを聞いた。
松山竜二
−海外挑戦のきっかけ
最初のきっかけは大学生の時に行った一人旅でした。東京に住んでいた友人に「海外でも行ってくれば?」と言われ、物価も安いし、学生のひとり旅には良いかなという理由でタイを旅先に選んだんです。あの時の一人旅で感じた刺激が海外挑戦を決めたきっかけだったと思っています。
−Fリーグ・バサジィ大分への加入
大学4年生も終わりの頃、Fリーグのバサジイ大分というチームに入団しました。
大分では環境や待遇も恵まれていましたが、タイで感じた刺激が忘れられず、今度は選手として海外に行ってプレーしてみたい!という気持ちを持つようになっていました。
そして当時チームメイトだった藤川朋樹さんの存在も自分にとって大きかった。フットサル選手としてイタリアで、サッカー選手としても欧州リーグでプレーしてきた経験のある藤川さんの言葉は自分にとって本当に刺激で溢れていて、藤川さんと話す中で改めて海外に挑戦したいという気持ちが自分の中で大きくなるのを感じました。
「海外に行くなら早く行った方がいい」
藤川さんのその言葉を聞いて挑戦することを決意しました。
当時、大分では3年目。副キャプテンまで任せてもらっていましたが、GMの方やクラブ関係者の皆さんのご理解のおかげでタイに挑戦させて頂くことになりました。
−タイリーグでプレーする日本人選手は多くありません。どうやって現地のチームとコンタクトを取ったのですか
Fリーグでプレーしていたからといっても海外からのオファーはなかなかありません。まずはタイとの繋がりのある人を探しました。
そんなある日、Fリーグ府中アスレティックの選手がレンタル移籍でタイリーグに移籍したという話を聞いたんです。当時府中には知り合いの方がいたので、すぐにその方に連絡をしてタイのクラブとの繋がりのある方を紹介して頂きました。
その後は、紹介して頂いた方を頼りにタイに行ったという形でしたね。
−タイでのチーム探し
まずはチョンブリFCの練習に参加しました。
正直言って、タイのことを舐めていた部分もあったので、最初に練習参加した時にはレベルの高さに驚きました。今でこそチョンブリFCはアジアNo.1のフットサルクラブですが、当時は日本の方が上という認識があったので。
「めっちゃうめーじゃん」と面食らいましたね。
結局1ヶ月の練習参加でしたが、契約には至りませんでした。
しかし、自分は運良くその後に練習参加したハイウェイFCというクラブですぐに契約の話を頂くことができました。
自分が長身でポジションがPivoだったこと、そしてチョンブリFCで1ヶ月練習参加していたことでタイのフットサルにも慣れていたということが契約できた要因だったんじゃないかと思います。
−実際にタイリーグはどうでしたか
上手いのはFリーグ、強いのはタイリーグという印象です。プレーの精度や技術の高さは間違いなくFリーグだと思います。
でもタイリーグも守備ではすごく組織的ですし、決まり事はすごく多い、そしてどんな形でもゴールに繋げてくる強さを持っています。
そして何より、その中で外国人としての違いを見せなければならないというのは簡単なことではありませんでした。
−慣れない環境での挑戦、ピッチの外でも苦労は多かったのでは
日本とは全てが違います。練習開始時間に選手は集まりませんし、コーチまで来ない。“これぞタイ”というようなダラダラとした雰囲気は日本人にはなかなか理解しづらい部分があります。
しかし慣れてくるといつの間にかその雰囲気に流されている自分がいたんですよね。
ストレスが溜まらないように、タイ人選手たちと一緒にダラダラと過ごしてしまっていたんです。そんな時に元タイ代表でチームの中心的存在だった選手に言われたんです。
「お前なんてチームに必要ないよ」
それまですごく良くしてくれていたベテラン選手だっただけに、あの言葉は心にズシッと響きましたね。
このままじゃいけない。何をやっていたんだとハッとさせられました。
それからは練習に早く行ったり、居残り練習をしたり、目に見える努力をするよう心がけるようにしました。そのベテラン選手にも謝りに行ったりもしましたね。
日本を一歩出れば外国人。その他の一人ではチームにいても意味ないんですよね。外国人選手として他の選手とは違いを見せないといけない。それはピッチの中でも外でも。それに気づかせてもらった言葉でしたね。
その後はタイ人選手たちとの距離も縮まって、結果も自然に出るようになりました。
−外国人選手として戦う厳しさ
他の選手と同じだったらチームに必要ない。期待に添えなければ「要らない」と言われる。そういうシビアな世界なんです。
外国人としての責任もありますし、本当に結果だけが求められる。得点という結果が出せなければ必要とされない、だからこそ必死になったし、貪欲にもなりましたよね。
でもこのスリル、そして刺激こそが自分が日本からわざわざ海を渡ってきた理由だったのではないか、とも感じていました。
結局チームは中位でシーズンを終了。個人的には15試合に出場して6得点。出場できない時期もありましたが、良いシーズンが過ごすことができたと思っています。
−2017年にはタイのチョンブリFCがアジア王者に。これから日本からタイリーグに挑戦する選手も増えるかもしれません
タイはやっぱりフットボールの国ですよね。サッカー、フットサル、セパタクロー、ビーチサッカー。どこに行ってもサッカー中継しているし、公園ではプレーしている人がたくさんいます。
やっぱりタイ人選手の能力は高いですよ。だから日本人選手の挑戦も簡単ではありません。
それにまだまだ日本のFリーグでプレーしている選手はタイのことを甘く見ている人が多いように感じます。でもそれは逆も一緒なんです。
タイ人選手も日本人選手のことを甘く見ていますからね。認められるためにはそれをひっくり返すくらいのプレーを見せるしかありません。
タイリーグで上手くやれる人の特徴をあげるとすればコミュニケーションではないでしょうか。
文化も習慣も違う人といれば当然ストレスも出てきます。でもそれを周りにぶつけていても何も始まらないんですよ。タイにはタイのやり方がありますから。それをしてしまうと。「じゃあ、要らないよ」って言われて終わるだけです。
相手のことを理解しようとすること。これはフットサルに限らず、海外で生きていくためには必ず必要になることなのではないでしょうか。
−今後、タイリーグでプレーする日本人選手にアドバイスなどはありますか?
若い選手たちにはお薦めしますね。日本では経験することのできない刺激がここにはあります。しかし、タイでの日本人の評価というのは想像以上に低く、Fリーグでプレーできるくらいの技量がなければトライアルを受けるのすら難しいかもしれません。
でもやってみなければ何も始まりませんからね。本気でタイで挑戦したちという選手には是非挑戦して欲しいですね。
タイでの2016シーズンを終え、浦安に加入した松山はそのシーズンを最後に現役を引退する。そして現在はタイ・バンコクで自らのフットサルスクールの立ち上げに向かって忙しい毎日を送っている。
海外挑戦で得たものはピッチ内での経験だけではない。恐れずに一歩を踏み出す大切さ、人との繋がり、周りに自分がどれだけ支えられているのか。
日本にいたのでは出来ない様々な経験を経て、新たな挑戦に挑む松山。
次回のインタビューでは新たな挑戦、フットサルスクール経営について聞いていこうと思う。
松山竜二運営のフットサルスクール GLADJOY FUTSAL CLUB
http://gladjoy-fc.com