大学休学、タイで過ごしたプロサッカー選手としての1年半。遠藤史悠


『このままやっていてプロになれるのだろうか、大学3年生にもなってAチームにも行けず、怪我までしている。プロになるには海外に行くしかない。』

そう感じたのは大学3年生の時だった。

ここ数年で一気に全国区のサッカー部へと成長した東京国際大学サッカー部。400人を超える部員が在籍し、1軍から12軍まであるという同部では、入学と同時にほとんどの部員が1軍でプレーする難しさを思い知る。

全国レベルの強豪校やJの下部組織からやってきた大勢の中で、悶々とした気持ちを抱えながらプレーする多くの部員達。遠藤もその中の一人だった。

埼玉の大井高校から入部した遠藤は下部チームで長い時間を過ごすことになる。学年もあがり、上位チームのコーチに認められ抜擢されたこともあったが、レベルの高い選手達の厚い壁に阻まれ、怪我による長期離脱にも悩まされた。結局、遠藤は3年生を迎えても下部チームの中でもがく毎日を送っていた。

そして『このままでいいのだろうか』という気持ちが自分の中で強くなるのを感じていた。

遠藤史悠

1996年生まれ 埼玉県出身 経歴 大井高校サッカー部 東京国際大学サッカー部 パタルンFC WUナコンシーユナイテッド

タイリーグ挑戦を決意。

「このままじゃダメだ。プロになるには海外に挑戦するしかない。」

そんな気持ちに駆り立てられた遠藤は、その日から海外に挑戦するためにはどうすれば良いかを考え行動に移し始める。

どうしたら海外に行けるか、海外にツテのある友人や先輩に相談し、暇さえあれば海外サッカーの情報を調べた。旅費を貯めるためにバイトも始めた。

「本当はJリーグでプレーしたいという気持ちをずっと持っていました。でも大学サッカー部でも試合に出れない自分にはJリーグなんて無理。でもやっぱりサッカー選手として、プロとして生活したいという気持ちは捨てられない。そう考えた時、海外だったらプロとしてやっていける可能性があるんじゃないかと思ったんです。それで色々な人に相談させてもらってタイに挑戦することに決めました。」

大学3年生の夏、遠藤は大学に休学届けを提出。タイに挑戦する決心を固めた。

タイでの挑戦は年内いっぱいの一ヶ月だけと決めた。それで契約を勝ち取ることが出来なければもうサッカーは諦める。そう心に決め、バイトで貯めたお金と野心を握りしめ2016年12月バンコク行きの飛行機に乗り込んだのだった。

逆境の中にいてもチャンスは必ずやって来る

タイでのトライアウトが始まった。現地ではトレーニングや練習試合を通して、悪くない感触をつかんでいた。しかしそんな中、怪我で10日間ほどの離脱を余儀なくされてしまう。

以前痛めたことのある箇所だった。トライアウトの時期の怪我は死活問題、焦る気持ちは当然つのった。

『自分は最初の一年目はプロとしてのキャリアをスタートすることが何より重要だと思っていました。お金とか、環境とか言っている余裕なんて自分にはないのは分かっていましたし、そこは覚悟がありました。怪我をした時は焦る気持ちは確かにありましたが、自分にできることは”今できることを一生懸命するだけ。チャンスは必ず来る。”とずっと信じていたんです。やれるという根拠のない自信がありましたね。』

12月下旬、タイ南部のクラブが日本人選手に興味があるという話を代理人から聞いた遠藤は、迷わず南部行きのバスに乗り込んだ。バンコクから15時間、たった一人の旅だった。

タイ語も英語も話せない、怪我した脚もまだ痛んだが、遠藤にそんなことは関係なかった。
『契約を勝ちとる』ために必要なことなら躊躇いはない。

そして練習参加時のパフォーマンスが評価され契約することが決まった。

サインしたのは12月27日、決めていた期限の一ヶ月が過ぎる前日だった。こうして遠藤はプロとしてのキャリアをスタートさせたのだった。

充実のプロ1年目

1年目にはコンスタントに出場機会を得て、充実したシーズンを過ごすことができた。

『すごく楽しめた1年でした。自分がプレーしたのは4部のチームでしたが、試合の日は2000人近い観客でスタジアムは盛り上がり、街ではサポーターに声をかけてもらったり、写真やサインを頼まれたりすることもありました。チームからの期待も感じられましたし、選手として幸せを感じることができたシーズンでした。』

タイ語も英語も出来ずに困ったというコミュニケーションも、毎日の勉強のおかげでチームメイトとも楽しく会話ができるようになった。

遠藤はピッチ内外で充実したプロ1年目を過ごした。

過酷な現実を知った2年目

遠藤は2018シーズン、一つカテゴリーが上の3部リーグ所属のWUナコンシーユナイテッドとの契約を果たした。

『いつも自分はサッカー選手としての目標や、この先の事を考えていますが、1年目はどういう形でもいいからプロとしてのキャリアをスタートさせることでした。そして2018シーズンに向けては1つカテゴリーを上げることでした。なのでここまでは順調に来れたなと思います。』

 

しかしプロとしての2シーズン目、2018シーズンが開幕すると状況は一変した。劣悪な環境、不当な待遇、理不尽な出来事。どんなことでも夢のために耐えられると思っていた。

しかし実際に体験した理不尽な出来事の数々は想像を遥かに超えていた。

「練習から酷かったですね。コーチが来ない日もありましたし、選手が5人しか集まらず、ボールも一つだけしかない日もありました。契約内容は基本的に守られませんし、クラブ側の勝手でどうにもなってしまう。

スタジアムの設備不良で相手チームにサッカー協会を通して訴えられた時には、その罰金を選手の給料から天引きすると言われました。それはあまりに理不尽だろうと怒りを感じましたね。それから比べれば試合前日ホテルの予約が取れずにビーチで野宿したのはまだマシな方でしたね。笑」

試合前日はビーチにテントを建てて眠った。

「日本での当たり前は当たり前ではない。もしかして海外が普通であって、理不尽なことが起こらない日本が異常なのかもしれない。日本にいては気づかない感覚ですよね。練習場があることも当たり前ではないし、契約が守られることも当たり前ではない。これは実際に海外に行かなければ絶対にわからないことでした。」

サッカー選手として、人として成長する為の復学

2018年3月下旬。思わぬ連絡が日本から届く。それは、これ以上休学期間を引き延ばすことができないという大学からの通達だった。

復学するためには1週間以内に大学に連絡しなければいけない。やり始めたことを投げ出すようなことはしたくない。しかし自分の目標実現のためには今どうするべきなのか、1週間遠藤は悩み抜いた。

「正直な話、もし僕のいたチームがタイ1部や2部でしたら、迷わずサッカーを優先させる事が出来たはずです。しかし、今のチームでプレーをするのか、それとも大学に戻るのか、どっちの選択が今後の人生の幅を広げられるのかと考えた時、大学を卒業することが自分にとって1番良いと考え復学することを決めました。

しかし自分としては「サッカーをやる為に大学を卒業しにいく」と、この復学を捉えています。そして日本に帰ってからは新しいことにもどんどん挑戦していきたい。この選択をして良かったと思えるかどうかは自分次第です。

日本で成長して必ずまた海外に挑戦したいと考えています。卒業後はどこの国に挑戦するかまだ決まっていませんが、必ず海外で挑戦しようと思っています。タイで応援してくれた方々、日本から応援してくれた方々、本当にありがとうございました。これからもサッカー選手遠藤史悠を宜しくお願い致しいます。」

自分の目標を達成する為にはどうすべきか。常にそのために行動する。しかしそれと同時に予期せぬ事態というのは起こってしまうものだ。

その時にいかに素早く対応し軌道修正できるかという力が常に求めらる。思い描いていた通りには進まないが、そんな時にどうすれば良いかという事を学んだ遠藤は、自分の進むべき方向を今まっすぐに見つめている。

海外でプロサッカー選手として1年半を経験し大学に戻る。そんな彼の眼には他の学生には見えない景色が写っているのかもしれない。自分の目標を明確に描き、そのために必要なことを躊躇うことなく行動することができる遠藤。

そんなまっすぐな彼の姿勢がこれからの彼の成長をさらに加速させていく。

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