フィリピンリーグのカヤFCで7年目のシーズンを戦う大村真也は、約束の時間に待ち合わせのカフェに姿を現した。サッカーの名門大学で体育会サッカー部の主将を任され、一般企業での社会人経験もある大村は、26歳の時にオーストラリアの州2部リーグでプレーを再開した。そして、次なる場所となったフィリピンでの日々を、34歳になった日本人センターバックは、回想を交えながらひとつずつ丁寧に語りはじめた。(フットボールライター 池田宣雄・マニラ)
大村真也
次なる場所、わずかな情報を頼りにフィリピンへ
UFLはプロとアマが混在するセミプロリーグでしたが、外国人選手枠のルールがなかったので、契約に至る可能性があると聞いていました。そもそも物価が安い国なので、条件はかなり低いだろうけど、トライアウトを受ける気があるならチームを紹介するよと、そのハーフ選手が言ってくれたんです。
それで、タイのバンコクに数日滞在した後に、一度名古屋に戻ってからすぐにマニラに向かいました。今はもう廃線になったデルタ航空でマニラに到着した後、空港で出迎えの人となかなか会えず焦りましたが、なんとかチームの宿舎に辿り着きました。
宿舎は貧素なアパートの1室で、黒人ふたりと白人ひとりと僕の4人の相部屋でした。マットレスは4枚ありましたが、毛布はふたりでシェアしていました(笑)。さらに、ちょうど雨季の真っ只中で土砂降りの日が続いて、トライアウトが3日も延期されたんです。
その影響かどうか定かではなかったのですが、どうやらカップ戦への選手登録の期限が迫っていたようで、トライアウト当日の朝にオフィスに行ったら、契約書にサインしろと言われたんです。さらっと読んでみると、その契約書はシーズンコントラクトで、具体的な日付と給料額が記載されていました。
要するに、土砂降り続きの影響で延期されたトライアウトが行われる前に、時間がなくなったことで契約が成立してしまったんですよ(笑)。
アパートも汚かったし、条件についても交渉の余地は与えられなかったし、成り行きに任せてサインしましたが、他にチームがあった訳ではないのでなんとか耐えられました。それ以来、カヤFCでプレーを続けています。
最初の宿舎を脱出してから、マカティの外れの方での暮らしが始まりました。最初の頃は給料が安い上に貯えも枯渇していたので、いくら物価が安い国とは言っても食べるのに精一杯でしたよ。アパートの近くに安いローカルの食堂があって、ほぼ毎日、フライドチキンとライスとコーラ1瓶で60ペソ(約120円)という食事でしたね。
それから程なくして、マニラオールジャパンという日本人駐在員の皆さんが集う草サッカーチームの方々と知り合ってから、食事に誘ってもらえるようになりました。週に3回くらいご馳走になっていました。本当にありがたいお誘いでした(笑)。

近所のローカル食堂から始まった大舞台への道
大学生の頃は、周りの選手たちのレベルが高かったので、自分がやるべき仕事が決まっていました。でも、オーストラリアと今のフィリピンでは、雇われた外国人選手としてやらなければならないことが多くて、常にいっぱいいっぱいの状態でプレーしてきました。責任と仕事量が増えたと言うか。
ただ、フィリピン代表レベルの選手たちとマッチアップしても、身体能力や技術レベルで負けているかと言えばそうでもなくて、いっぱいいっぱいながらもしっかり対峙できていると思っています。
フィリピンに来てから最初の3年くらいは、他のチームからも声を掛けてもらっていました。ただ、チームとは早い時期から良好な関係を築けていたので、契約が続くだろうという手応えは掴めていました。
カヤFCは、リーグでは中堅に位置するチームで、大枚を叩いて選手をかき集めるようなことはしませんが、きちんとバジェットを組んでいて、マネジメントやオーガナイズの部分もしっかりしているんです。
2年目からセンターバックでの出場が増えて、同時にチームキャプテンを任せられるようになりました。5年目のカップ戦で初優勝を果たした時は、最優秀選手賞的なものも受賞したりして、成果を上げたことで信頼関係が深まったように思います。翌年には目標だったアジアの大会(AFCカップ)にも出場することができました。
初めての国際大会出場だったので、グループステージで同組となった香港、シンガポール、モルディブへの遠征や、ノックアウトステージでのマレーシアへの遠征など、チームとして本当に貴重な経験を積むことができました。
ところが、寒い場所に遠征に行くことなんて今までなかったので、ベンチコートとか、移動で着る上着とか用意されていなかったんです。フィリピンは常夏ですから。
池田さんにご挨拶したあの時も、遠征直前に薄手のウィンドブレーカーが支給されましたが、香港に向かう機内で凍死するんじゃないかと思うくらいの洗礼を浴びました。みんなで旺角に行ってダウンジャケットを買った記憶があります(笑)。
ほとんどの試合をマニラで行うリーグ戦の合間に、海外遠征を含むアジアの大会を戦うという過密日程を初めて経験しました。僕ら外国人選手や海外でプレーしていたハーフ選手は大丈夫だったんですけど、カヤFCはローカル選手が多くて、疲労からコンディションを落としてしまいました。
それと、異なる環境でのプレーを経験したという意味では、ノックアウトステージで対戦したマレーシアでの試合は印象的でした。惨敗を喫してしまいましたが、敵地のスタジアムに2万人以上の観客がいて、完全に相手に呑まれてしまったんです。数百人の観客の前でしかプレーしたことがなかった選手たちにとって、あの試合の雰囲気は衝撃的でしたね。

アジアでプレーするということ、フィリピン代表の盟友へのエール
やっぱり、どこの国でプレーするにしても、チームの共通言語となる言葉はしっかりを話せるようにならないと難しいと思いますね。僕は何も準備せずにオーストラリアとフィリピンに向かいましたが、チームでも街の中でも英語が必要でした。今では特に不自由なく話せているつもりです。はい(笑)。
できれば海外に行く前からやっておいた方が良いでしょう。行った後に会話を勉強しろとまでは言いませんが、できるだけチームメイトの輪に加わって、コミュニケーションを図るように心掛けるだけでも、自然と上達しますよ。
言葉も大切なんですけど、それ以前にチームにプレーで貢献できないと、そもそも契約してもらえません。例えばフィリピンの現状は、どこのチームにも中盤やサイドにはフィリピンハーフやローカルの良い選手がたくさんいます。
その辺はそんなに補強ポイントではないような気がします。ですから、最近の傾向はひとりでも決定的な場面に持ち込めるフォワードの選手とか、そのフォワードと対峙できるディフェンスの選手などが求められていますね。前と後ろの選手ですかね。
そう言えば、フィリピン代表チームが、ついにアジア全体の大会(アジアカップ2019)に初出場を果たしました。アセアンの大会では度々上位に食い込むようになっていましたが、歴史的な快挙だと思います。
その代表チームに、日本とフィリピンのハーフ選手たちが選出されています。彼らも僕と同じように、日本でずっとプレーしていたのですが、プレーする場所を失ってフィリピンに渡った選手です。その後強豪チームで結果を出して、代表でも活躍するようになり、今ではタイとかルーマニアの高いレベルでプレーしていますね。
組み合わせ抽選の結果、日本とは別組になりましたが、韓国や中国と同組になりました。彼らにとってこの大会は大きなチャンスになるはずです。大舞台で活躍してもうひとつ上のステージに登ってもらいたいです。
ちょっと次元の違うお話かもしれませんが、僕自身もAFCカップに出場したことで、国を代表して戦うということを経験しました。当時、ライバルチームの選手からも応援してもらえたんです。ですから、今でもACLの予選とかAFCカップに出場するチームの選手たちには、会った時に声掛けしているんですよ。

34歳の現在地、フィリピンサッカー界の光と陰
フィリピンでは7年目になります。僕自身も34歳になりました。ここに来てから毎年少しずつですが待遇が良くなっています。ただ、いくつかの心配ごとがあります。
フィリピンのリーグは、昨年UFLを発展的に解散して、新しいPFL(フィリピンフットボールリーグ)が始まりました。カヤFCは新しいPFLに参加したので、僕の周りの状況はそんなに変わってはいません。
ですが、いくつかのチームがPFLに変わった時点で活動を休止したので、チーム数が8チームに減り、今年も2チームが参戦を取り止めて6チームに減少しているんです。聞いた話によると、下手するともっと減るんじゃないかという噂もあるんです。
新しいPFLは、アジア各国のリーグ運営基準を参考に、完全プロ化とか、外国人選手枠とか、ちょっと厳しいルールが盛り込まれていて、結果的にいくつかのチームがやめてしまったんです。
その上で、これからは基本的にマニラで開催されていたリーグ戦が、地方の街で開催される方向で動き始めています。実際にカヤFCも、主催試合をイロイロという街でやることになりました。こうなると、試合の度に多額の遠征費や宿泊費などが発生するので、さらに経営を圧迫しますよね。
これ以上チームが減るようなことになれば、リーグとして成立しなくなる恐れもあり、アジアサッカー連盟的にもアウトになるんじゃないかと聞いたことがあります。
僕は、カヤFCが選手として契約してくれる間はチームに留まるつもりです。しかし、外部要素が影響してプレーが続けられなくなることも考えられるので、来年、僕がフィリピンにいるのかどうか、それはちょっと分からないですね。
せっかく、フィリピン代表チームの方が盛り上がってきているのですから、リーグ戦の方も盛り返してもらいたいですね。本当に。
(了)