経験を活かせるセカンドキャリアを。選手を引退しタイリーグクラブのフロントスタッフに


今シーズンJリーグで好調を維持する北海道コンサドーレ札幌。この躍進を支える一人のタイ人選手の活躍は日本人サッカー関係者の目をタイに。そして多くのタイ国内のサッカーファン・選手たちの目をJリーグに向けさせている。

チャナティップ・ソンクラシン。”メッシJ”という愛称で親しまれるタイの国民的スターの活躍はそれほど大きなインパクトがあった。

今年4月、タイリーグ、パタヤユナイテッドに所属するピチャ(U23タイ代表)がJ2徳島ヴォルティスの練習に参加した。練習参加を通して好パフォーマンスを見せたピチャの今後のJリーグ入りがあるのか楽しみなところだが、この練習参加には一人の日本人スタッフがピチャのサポートとして帯同していた。それが木野村公昭氏であった。2017シーズンに現役を退いた元サッカー選手だ。

木野村公昭

1984年/東京都出身 浦和学院サッカー部、成蹊大学サッカー部、成蹊大学サッカー部コーチ、飯能ブルーダー、アベントゥーラ川口、シラチャFC (以下タイリーグ) – コンケーンFC – チェンマイFC – ソンクラーFC – ナンFC – ピチットFC – チャムチュリユナイテッド – カスタムズユナイテッド

今回はピチャの通訳兼サポートとして来日でした。初めての経験だったと思いますがどうでしたか?

大変なこともありましたが、ピチャが良いパフォーマンスを出せるようにサポート出来たと思います。

タイ語がわかって日本語も話せる、サッカーのことも分かる、そういった人の存在は選手としても心強かったはずです。

結果としてピチャは徳島の練習に入っても彼の実力を発揮できていたと思います。日本のサッカーにもすぐに順応し、ある程度の手応えは感じられたと思うんです。普段の力を出している彼のプレーを見て、少しは力になれたかなと思っています。

J2徳島の練習に参加したピチャと木野村氏

2017年に引退。理由は何だったのですか?

シーズン中に前十字靭帯を断裂する怪我をしてしまいました。復帰に向けてリハビリをしていましたが、そんな時に知人を通して今の会社が日本人スタッフを探しているというお話を聞いたんです。

現役を続けたい気持ちはもちろんありましたが、家族もいますし、年齢も考えた時に自分にとって良い話だなと引退することを決めました。

セカンドキャリアについて現役時代はどう考えていましたか

大雑把にこういうことしたいなとか、もっと準備しないといけないなとは考えていましたが、正直これというものは決まっていませんでした。

しかし、サッカーに携わっていきたいという思いはありましたし、現役を引退した後もタイのサッカー界に関わっていければいいなとは思っていました。今後タイと日本のサッカーを通した繋がりというのはさらに増えていくだろうし、そこに携われることは魅力ですよね。

現役時代の木野村氏

どういった業務をされているのでしょうか?

タイリーグ1に所属するパタヤユナイテッドが練習グラウンドとして使用するKiarti Thanee Football Camp KTFCという施設があるんですが、最初はそこの管理ということで今の会社に入社しました。タイ代表のキャンプなどでも使われる宿泊棟も備えた総合施設です。

そこでグラウンドの使用頻度をあげるための工夫だったり、管理をしています。お客様とのミーティングなどもありますね。日本からの遠征対応で練習時間や、食事、何が必要かなどを話し合い、それに向けて準備する作業などもあります。

パタヤユナイテッドの施設KTFC

現役時代にはなかった苦労もあるのではないですか?

デスクワークなどしたことがなかったので、最初はしんどかったですよやっぱり。恥ずかしいですがエクセルやワードの使い方、メールでの一般常識もわからなかったので。業務をこなすのに必死ですね、今でも。

忙しい毎日を送っているようですね

今はタイ4部リーグを戦うパタヤ・ユナイテッドBのコーチも兼任しています。若手中心のチームなんですが、スタッフが少なかったのでオーナーからやってくれと頼まれたんです。

最初は施設管理者という形で入りましたが、コーチもするし、通訳も掃除も会場設営も皿洗いも何でもします。あるチームが合宿している時には食事の準備が間に合わず、目玉焼きを必死で何十個も作ったこともありましたね。

1日12時間労働の時もありますし、楽しいだけではないですが充実はしていると思います。

うちはタイ人の奥さんと娘の3人家族なんですが、一緒に過ごす時間が少ないのは寂しいですね。土日はリーグ戦もありますし、週休1日です。現役時代はずっと一緒に入られたので余計そう感じるのかもしれません。

パタヤユナイテッドが練習するKTFC。Jリーグクラブにも劣らない施設を備える。

タイ語が話せるということは大きな武器

これだけ長くタイでサッカーをしていたので、何かタイでやりたいとは思っていました。それが何かは分かっていませんでしたが、「サッカー・タイリーグ・タイ語」という部分では自分の強みが活かせるのではないかなと思っていました。

タイ語はどうやって習得したのですか

奥さんがタイ人ということもありますし、地方のクラブで長くプレーしていたことも関係あると思います。通訳もいない、日本人もいない、家に帰っても話すのはタイ語、そうすれば自然とある程度は話せるようになっていましたね。

タイ語と日本語の通訳もこなす。

ピチャの徳島での練習参加サポートでも現役時代に培ったものが活かされていますね

セカンドキャリアについてしっかりとしたビジョンを持っていたわけではありませんでしたが、結果として自分が経験してきたことが今に繋がっているなとは思います。逆にこれと決めて準備していても思ったようにはなかなか進まないことも多いですよね。

現役時代にもっとやっておけば良かったなと思うことなどは何かありますか?

探せばいくらでもあります。しかし仕事で使うスキルは後でも身につけることができますが、サッカーは若い頃しかできません。だからもっと若い頃に海外に出ておけば良かったなとは思っています。そうすれば何か変わったんじゃないかなと。

大学卒業後、社会人サッカーを4年間やりました。そしてプロになるため25歳で海外に出てきて、本当にたくさんの貴重な経験をすることができました。それは本当に外に出ないとわからないことです。

日本の常識は通じないし、理不尽なことはいくらでもある。でもそういう経験っていうのは聞いただけでは何も得られない、自分の経験からしか得られない貴重なものなんだと思っています。それを若い頃に感じられるというのは本当に大きな財産になると思います。

サッカー選手に未練はありますか

やっぱりその気持ちはありますよ。前十字靭帯を切って手術をして、復帰に向けたリハビリ中に今の仕事に決まったので。今でも仕事の合間にグラウンドで選手たちがプレーしているのを見ると、自分もやりたいなといつも思っていますよ笑

トレーニングを眺める木野村氏

 

Previous Jリーグ助っ人外国人の今  −元 ヴァンフォーレ甲府 マラニョンとサーレス−
Next 自分にしか見れない景色を見てきた男のストーリー 前編