自分にしか見れない景色を見てきた男のストーリー 後編


写真提供:下野淳

フィリピンリーグのJPVマリキナFCで、ゲームキャプテンを務める下野淳は、6シーズンに渡ってプレーしたSリーグの舞台で大きな飛躍を遂げる。学生選手の時は契約選手に、契約選手になってからはJリーグから来た選手に、そしてローカルチームに移籍した後は他の強豪チームに移籍した選手に負けていられない。強い気持ちで挑む、つまりは覚悟することでプロサッカー選手としての礎を築いたのだ。

 その後、ミャンマーとモルディブで直面した諸々の問題に、その覚悟で乗り切った日本人ボランチが辿り着いた、新たな舞台フィリピンでの戦いの様子まで、まさに七顛八起と言えるアジアならではのストーリーを惜しみなく語ってくれた。【フットボールライター・池田宣雄(マニラ)】

下野淳

1988年生まれ。神奈川県大和市出身。帝京大学を中退してJAPANサッカーカレッジに進学。2009年からシンガポールに渡り、アルビレックス新潟シンガポール、ウッドランド・ウェリントン、ホウガン・ユナイテッドなど、Sリーグの舞台を主戦場とした。ネピドーFC(ミャンマー)、ヴィクトリーSC(モルディブ)を経て、2017年からフィリピンのJPVマリキナFCでプレーしている。30歳となる今シーズンはゲームキャプテンを務める。マニラ在住。

突然のクラブ消滅でミャンマーへ

2015年シーズンは、もう既にSリーグの外国人枠がほとんど埋まってしまったので、代理人の方にお願いして次の場所を探しました。ミャンマーのネピドーFCのお話しがあったのでヤンゴンに向かい、他の可能性もないので移籍しましたが、日本とシンガポールで暮らしてきた僕にとって、ミャンマーの酷い生活環境は耐え難いレベルでした。もう本当に震えましたよ。

ヤンゴンにあるチームの寮で共同生活をして、試合の度にバスに6時間ゆられてネピドーに向かいました。WiFiの普及が遅れていて、あったとしても異常に遅い。衛生管理も酷くてハエの飛び交う食堂で食べていました。その上で給料の未払いまで始まったので、ハーフシーズンが終わったところで一旦日本に帰国しました。

帰国したのは、母親の闘病生活が始まっていたからです。それと、僕自身もミャンマーでの生活で原因不明の腰痛に苦しんでいたので、しっかり検査を受けたかったのもありました。母親の病気は結局治りませんでしたが、僕の腰の状態は元に戻りました。ミャンマーでの強烈なストレスが原因だったとしか考えられません。

その後、シンガポールのホウガン・ユナイテッドでプレーできる可能性が出てきたので、シンガポールに向かいました。ウッドランドの時の監督がホウガンにいたんです。色々あったけど最終的に外国人枠が空いて、シンガポールに復帰することができました。残りのハーフシーズンだけの契約でしたけど。

結局2015年は、ミャンマーとシンガポールでプレーしました。ミャンマーで経験したストレス、プロになって初めての給料未払い、また母親の心配ごとなどもあって、バタバタと落ち着かない1年でした。一時はサッカーを辞めることを真剣に考えたこともありましたし。

写真提供:下野淳

モルディブでの受難、8割超の給料未払い発生

全日程が終わってから、また一旦日本でリフレッシュして、サッカーを続けることにしました。少し視野を広げる意味で、2016年のプレシーズンは、シンガポールではなくタイのバンコクに滞在して、次のチームを探しました。バンコクで身体を動かしながら、周辺国の情報を収集していたのですが、なかなかチームが見つかりません。

タイの滞在ビザが切れるタイミングで、フランス人の選手仲間から、モルディブのヴィクトリーSCというチームのお話しがきました。トライアルなしの契約ということだったので、すぐにモルディブのマレに向かいました。かなりヤバい状況に追い込まれていましたが、サッカーが続けられるのであれば、の一心で喜んで行きました。

モルディブは海も空もきれいなところで、最初はストレスを感じることはなかったのですが、いざ生活を始めてみると次々と問題が発生しました。WiFi環境はミャンマーにも増して劣悪で、まともに連絡を取ることすらできず、またサッカーのレベルも、これまでプレーしてきた中で最低のレベルでした。

その上で、加入直後からいきなり給料の未払いが始まって、現地通貨で支払われる生活費しか貰えなかったんです。手持ちの現金も底をつくような状況に陥りましたが、チームメイトのフランス人選手と話し合って、自分たちからチームを去るような真似をすると、未払い分の請求ができなくなるから、プレーを続けようということになりました。

それでも、9月に一方的な契約解除を喰らったので、モルディブから離れました。未払いの総額が契約書の金額の8割超になっていたので、弁護士の方を介してFIFAに仲裁をお願いしました。そろそろ結審するらしいので少しは回収できると思います。

写真提供:下野淳

新天地はフィリピンの日本人経営クラブ

2016年の年末から年明けまでは、選手仲間の情報を頼りにふたつの可能性を探りました。ひとつはインドネシアで、もうひとつはフィリピンでした。まず動きがあったのはインドネシアで、プレシーズンの大会に出場してプレーを見て貰うことになりました。

実際にジャカルタに行ったのですが、大勢の選手が同じことを考えていたようで、僅かに残されている外国人枠を、親しくしている日本人選手たちと奪い合うような状況になりました。親しい選手たちと鉢合わせる境遇は、ちょっとシンドかったです。

それもあって、僕は知人を頼ってバリに移動して、当時はフィリピンのJPVマリキナFCでプレーしていた大友慧さんからの情報に備えました。リーグ戦の外国人枠が正式決定した上で、チームの外国人枠が空いた場合に、経験のあるボランチの選手を補強すると聞いていたので。

2月の中旬に大友さんから連絡があり、すぐにマニラに向かいました。大友さんと柳川雅樹さんがチームにプッシュしてくれまして、JPVマリキナFCへの加入が決まりました。ご存知のとおり、JPVはフィリピンリーグに参戦している日本人オーナーが経営するクラブで、外国人枠はすべて日本人選手、スタッフの中にも日本人がいます。

写真提供:下野淳

日本風からのチェンジと日本風への再チェンジ

2017年のシーズンは、プレーするチームが変わっただけではなく、かなり日本風なサッカーをすることになりました。日本人選手が4人いて、日系フィリピンハーフ選手も4人いて、実際の練習メニューもセンターバックの柳川さんがやっていましたので。ローカルの選手たちもチームカラーをよく理解していました。

でも、僕自身はアルビレックス新潟シンガポールでやっていた、2012年シーズン以来の環境だったので、実はフィットするまで少し時間を要しました。でも、日本語で言い合えることとか、逆に言わなくてもできることとか、メリットがたくさんあるので、また元の自分に再チェンジしました。

今シーズンは、僕以外の日本人選手がすべて入れ替わって、昨年の主力数人も引き抜かれて、唯一残った僕がキャプテンを任されました。新たに加入した日本人選手を主軸に、柳川さんが残してくれたサッカーを、今のローカルの監督が継承して、フィリピンリーグを戦っています。

JPVは良くも悪くも、日本人選手が牽引していかないと戦えない。残念ながら、日本風以外のオプションは存在しません。現在、リーグ戦では下位からの脱出を図っているのですが、圧倒的な戦力差を補うには、やっぱり日本人選手と日系フィリピンハーフ選手が中心となって、徹底抗戦して行くしかないと考えています。

僕には柳川さんの代わりなんて到底務まりません。できることは、対戦相手をしっかり研究して、できるだけ自分たちのペースで相手と対峙するということですね。僕自身はJPVで2年目ですので、去年よりもしっかりとアジャストできています。

写真提供:下野淳

いつか何かを伝えることができるサッカー人生

今シーズンが終わると、アジアでちょうど10年プレーしたことになります。僕なんて、日本の底辺の底辺からアジアにきたので、毎年続けてこれたことには満足しています。強い気持ちがあれば、どこでやるにしても、そこでやる覚悟があればサッカーを続けられる、ということを証明できたと思います。

これまで、いろんなキャリアの日本人選手と一緒にプレーしてきたけど、努力も苦労もしないでやってきた選手なんていないです。やれる実力があるのにメンタル弱い選手もいたし、逆にメンタルだけ強い選手もたくさん見てきました。

とにかくやり続けるしかなかった。諦めたり辞めたりしたらすべて終わると思っていました。やり続けるということは、それはどうにかなる可能性が残るということ。確かに紆余曲折のあったサッカー人生でしたよ。でも、今の状況がいちばん良い人生だと思って生きてきた。大変だなと感じたとしても、それは良いことなんだと思うようにしてきました。

僕はJリーガーにはなれなかったけど、アジアの国のトップリーグの公式戦で300試合近く出場することができた。ですから僕は後に、同世代やもっと若い選手たちにアジアの現実を伝えることができるはずです。いつか何かを伝えることができるサッカー人生を歩んできたと思えるので、アジアで経験を積んできたことには満足しているんです。

ロナウジーニョに憧れて、それまで守備なんて一切やらなかった僕が、アジアの国々ではボランチやってることを地元の友だちに話したら、マジかっ!お前がボランチって!って大笑いされましたけど。

僕はたぶん、自分にしか見れない景色をこの眼で見てきたんだと思います。(了)

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