小林雄剛
1991年生まれ、群馬県出身。 靜学学園高校、ザスパクサツU-23、HBO東京、JPヴォルティス(フィリピン1部)、ソンクラーユナイテッド(タイ2部)、アイゾールFC(インド1部)
2017シーズン王者のアイゾールFCに加入した小林雄剛を待ち受けていてたインドの厳しい環境
僕が暮らしていたアイゾールという場所はインドの北東部ミゾラム州にありました。街の中心には博物館や有名な寺院などもありますが、チームから用意された部屋があるのはもっと山の上の標高1000m以上の場所です。
写真を見てもらえば分かると思いますが、道が舗装されていない所も多いですし、練習へ行くにも買い物に行くにも一苦労でした。

昨シーズン王者と言ってもアイゾールFCはIリーグの中でかなり予算の少ないクラブです。それにムンバイやニューデリーなどの主要都市からはかなり離れた場所にあるので、試合の遠征は基本的に飛行機移動になります。
アウェイの試合の前日移動には朝5時に出発し、飛行機を3回乗り継ぎして、夜中に到着なんてことは普通です。前日練習する時間もなく到着した翌日には試合なんてことは毎度のことですね。
リーグのスケジュールも過密だったので、中3日で試合の時には試合して移動して試合の連続。そんな日程が続いた時もありました。

手術したばかりの膝への負担は想像以上に大きかった
何が辛いって約半年前に手術したばかりの膝への負担です。もともと万全な状態ではなかったのに長時間の移動で試合後のリカバリーや治療も満足に出来ない。膝の状態は悪くなる一方でした。
チームには一応フィジオスタッフもいました。でも状態を伝えても「無理すんなよ」だけで終わりで何もしてくれません。病院に一度行ったこともありますが、汚い診察室にジャージでサンダルを着たおじさんが入って来て、医者だと名乗った時は衝撃でしたね。
MRIは壊れて使えないし、血液検査をしましたが、注射も使い回しなんじゃないかって思うと本当に怖かったですよ。

インドでの生活
住む場所もなかなかでしたね。最初にクラブが用意してくれた部屋は外国人選手5-6人で住んでいて、家政婦さんもいて掃除や食事の準備もしてくれていたんです。でも朝昼晩カレー。さすがにしんどいですよね。街に日本食レストランは当然ありません。共同生活もストレスになりますし、自分で家を借りることにしたんです。
しかし、アイゾールの僕がいたエリアには外国人が住むようなアパートっていうのが全然なかったんですよ。なんとか自分で家を探して1人暮らしを始めましたが停電は頻繁に起こるし、3日間水が出ないなんてこともよくありました。
シャワーが出ないことはよくあるので雨水を貯めて生活用水にしたりしていましたね。雨がよく降る場所だったのでその部分では助かりました。
温水は当然出ませんが、水を温めるためのコテみたいなものがあるんですよ。それを水を貯めたバケツに入れて水を温めるんです。最後の方には使い方もだいぶ慣れましたね。

ピッチの内外でトラブルばかりだったインドリーグ
チームには現役のアフガニスタン代表選手。元ルーマニア代表選手。アフリカンが3人所属していました。自分を含めて5人しか登録できない外国人枠の中に6人の外国人が所属していました。監督はポルトガル人、コーチはスペイン人です。
インドはアジア枠があるんですが、それをアフガニスタン代表の選手と争う状態でした。かなりプライドの高い選手で、本田圭佑と代表戦でユニフォーム交換したとか、吉田麻也とやりあったとか自慢してくるんですよね。
自分のミスを全然認めないタイプで、一度練習中にミスを自分のせいにされて「チャイニーズ!」って言われたんです。それで言い合いになって「アフガニスタン代表なんて誰でも入れるだろ!」って言ったんですよ。そこから取っ組み合いの喧嘩になったこともありましたね。

結果としてIリーグでは11試合に出場し8試合フル出場。4ゴールという結果でした。
Iリーグで外国人に求められることはまさに結果のみです。結果さえ出してれば何しても良いような雰囲気すら感じます。そう考えると自分が環境面でこんなにストレスを感じたのも結果が出せなかったからなのだと思っています。
自分が試合で活躍して周りに認めさせることができれば、どんな環境でも充実感を持ってサッカーができたはずですから。
まだまだこの怪我さえ治れば上に行くチャンスはあるんじゃないかと思っているんです。早く怪我を治してチャレンジしていきたいと思っています。
後記