欧州への再挑戦!Jリーグ、欧州、アジアを渡り歩いてきた日本人ストライカー


ポーランドのクラブと契約

青森山田高校でチームを日本一に導き、高卒でJ1のFC東京に入団した元U-20日本代表のストライカーは今年で31歳を迎える。FC東京を退団した後はJFL、そして海外クラブを渡り歩き、2018年はフィリピン1部リーグのJPVマリキナFCに所属していた。2019年、タイのバンコクでコンディション調整のための合宿を行い、2度目となる欧州挑戦の地ポーランドへと向かった。

小澤竜己

1988年生まれ、愛知県出身。名古屋FCから青森山田高校に進学。1年時からエースとして活躍し、3年時にはキャプテンとしてインターハイ優勝に貢献。卒業後はFC東京に入団。U-20日本代表としても活躍した。その後JFLのガイナーレ鳥取、ブラウブリッツ秋田、そしてタイ、ラトビア、ポーランド、インド、タイ、フィリピンと渡り歩く。

給料未払い、怪我、苦しんだフィリピンでの1年

初めてのフィリピンでのシーズンは本当に大変でした。開幕前から給料の未払いが始まってしまって。社長は日本人の方だったので信じていたのですが、シーズン途中で2ヶ月分の給料が払われましたが、その後は「来週払う、来週払う」が結局シーズン終了まで続きました。幸い住む場所に関してはチームが1年契約でプール・ジム付きのコンドミニアムを借りてくれていたので困ることはありませんでした。フィリピンでは食費や生活コストは安く抑えられるので。これがなかったら日本に帰っていたでしょうね。

リーグの運営やクラブのオーガナイズもまだまだ整っていないのがフィリピンリーグの現状です。シーズン中、10日間で3試合のアウェイゲームをこなさないといけない事がありました。セレス・ネグロスFCとのアウェイ2連戦と、カヤFCとの試合です。その遠征では航空券やホテル代など、どう見積もっても200万円以上はかかる遠征でした。でもその時すでに給料の未払いが続いている状況で、選手としては生活も不安。だったら不戦敗でも良いからまず給料を払ってくれという話をしていたんです。それに対する社長からの答えは「遠征までに給料は用意するから心配するな」というものでした。でも結局それが払われることはなく遠征の日を迎えました。

フィリピンのサッカーチーム
JPVマリキナFC

結局、前泊する分のお金も払えないので試合当日移動になり、試合時間ギリギリに会場入りしてすぐに試合をすることになりました。でも、そのアウェイ2連戦では強豪セレス・ネグロスFC相手に一勝一敗だったんですけどね。でもまたここで問題が発生して、社長が持って来たお金がもう1試合やるには足りなかったんですよ。次の試合までは3日間あったんですが、それまでの宿泊費や移動費を考えると帰る方が良かった。それで結局2試合やってマニラに帰ることになりました。「社長がもしお金を持って来たら試合に行こう」ということになったんです。

その数日後、カヤFCとのアウェイ戦の分のお金が用意できたということで試合に向かいました。サッカー人生で初めて飛行機移動してからその日に試合して日帰りで帰りましたよ。

最終的にJPVマリキナは2018シーズンは6チーム中5位という成績でした。自分自身は7月26日に足首を負傷してしまい、手術が必要な怪我だったので日本に帰ることになったんです。シーズンも残り数試合が残っていましたが、正直「これで日本に帰れる」と思ってしまいました。給料の未払いについては2018年10月26日までに支払うという誓約書を書いてもらったんですけど、結局まだ支払われていない状況ですね。結局怪我で終わってしまいましたし、今までで一番嫌な思いで過ごしたシーズンになりました。

フィリピンの日本人サッカー選手
JPVマリキナでは10番を背負いプレーした

フィリピンサッカーについて

それでもフィリピンサッカーの可能性はすごく感じましたね。フィリピンの上位クラブはタイリーグ1部でもやれるレベルにあると思います。とにかくフィリピンは欧州各国とのハーフ選手が多いので、彼らの実力は相当高いと感じました。ただ、チームが6チームしかないので戦力が集中しているというはあると思います。これが12チームとかになれば確実に戦力は分散されると思うので。でもリーグとして、Jリーグや他の既に発展している国のリーグのシステムを上手く取り入れることができれば大いに発展する可能性はある国だなと思いました。

欧州への再挑戦

日本に帰国してからはシーズン中に負傷した足首の手術をした後、リハビリをしながら工場で仕事をしていました。以前にもお世話になったトヨタの工場ですね。そして2018年末からタイで3週間の合宿をしてポーランドに渡りました。

▶︎▶︎タイ・バンコクでの合宿の様子

ポーランドでプレーする日本人選手
暖かいタイでコンディションを調整しポーランドへと渡った

本当はオーストラリアで仕事をしながらサッカーをしようと考えていて、そのための準備を進めていたんです。でもそんな時にポーランド時代のチームメイトから連絡が来ました。「チームの監督がお前に興味を持っている、いくらだったら来れるんだ?」と。オーストラリアの方が仕事をする分お金には余裕ができるし、気候の面でも暖かく怪我後の身体にも良いと思いました。でもいつかはポーランドに帰りたいという思いがありましたし、ポーランドは自分が今までで一番ハッピーな思いでサッカーができた場所でした。人間的にも成長できたし、選手としても多くのことを学ぶことができました。良い思い出しかない場所なんですよね。その国のクラブから選手として必要とされていることが嬉しかったんです。それでポーランドに行くことに決めました。

ポーランドでプレーする日本人選手
念願のポーランド復帰を果たした小澤

今回は自分の中で「挑戦」というよりも、今まで自分がやってきたことの「特典」だと思っています。というのも、自分がポーランド語を話せなければこの話は来ることはなかっただろうし、以前所属していたチームで仲間たちとの信頼関係を築けていなければなかった話でした。そういう意味では自分の財産ですよね。その財産を築けた場所で選手として必要とされている。そこでやり切りたいなと思ったんです。話をくれたチームメイトにも「お前が点を取れなかったら俺もお前もチームなくなるからな」なんてふざけて言われましたが、リスクを負って自分に話をくれた友人の思いにも応えたいですよね。

以前ポーランドでプレーしていた時、サッカーをやめたらポーランドの大学で勉強したいなと思っていたんです。言語もそうですし、どういう形でポーランドと関われるか探っていきたいと思っていたんですよ。多くの人はJリーグや欧州主要リーグでプレーする選手しか知らないのかもしれません。でも自分は自分ができることを精一杯やって、他人が選択しないような自分だけの道を信じて進んでいきたい。自分を信じてやっていけば、それを発信することで今までの恩返しもできるようになると信じています。

ポーランドでプレーする日本人選手
第2節には先発フル出場を果たした

ポーランド下部リーグIlanka Rzepinと契約した小澤は1月下旬からチームに合流、現在ポーランドでは後期リーグが始まり3節までが終了している。移籍手続きの遅れで第1節は出場できなかったが、第2節には先発フル出場を果たした。この試合ではボランチのポジションで出場。ストライカーとしてこれまで戦ってきた小澤にとっては慣れないポジションだが、新しいチャレンジにも積極的に取り組んでいる。

サッカー コーチ
アカデミーの子供達にサッカーを教える

「ポジション以外にもポーランドに来てから今までとは違う取り組みにも積極的に参加しています。クラブのアカデミーコーチとして子供達にサッカーを教えたり、日本語を学びたいという学生に日本語を教えたりなんかもしているんです。今までにはなかった経験をさせてもらっていますし、サッカーはもちろんですがそれ以外のところでも積極的にチャレンジしていきたいと思っています。」

▶︎▶︎小澤竜己の過去ストーリーを読むにはこちら『元U-20日本代表、流浪のストライカーが進む自分だけの道 第1章』

 

 

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